工房移転のお知らせ
<ノグチ靴工房からの大切なお知らせ>
ノグチ靴工房は、2015年・春に主宰者・野口マサジの郷里である埼玉県に活動の拠点を移すことをご報告しています。
ノグチ靴工房は茅ヶ崎で工房を開いてから今年(2014年)で14年目を迎えました。 工房を構えた当初は、全く縁もゆかりもない土地で明日の存続さえも危ぶまれる困難な状況もありましたが、 年を重ねるごとにみなさんに認知して頂き、今日「手づくり靴」で生活が安定させられるまでになりました。 結婚して新しい家族も増え、気づけば茅ヶ崎は生まれ育った埼玉の次に長い月日を過ごした土地になりました。
そんな第2の故郷であり、毎週通って頂いている沢山の生徒さんや、かけがえのない地元の友人もできた茅ヶ崎を離れようと思ったきっかけは、父親の死と子供の誕生でした。
今から16年前に絶縁状態で埼玉の実家を飛び出して、靴の世界に飛び込んでから8年が経ったときでした。 この仕事だけでご飯が食べられることが特別なことではなく日常となり、「独りでここまでやってきたぞ」とやっと父に報告できるようになったと思った矢先に彼は他界してしまいました。 その後、結婚して自分も男の子の父親になり、大工職人で同じ境遇であっただろう当時の彼と幼い私の姿を、今の自分と息子に重ねて考えさせられることも多くなりました。
そして父がそうしたように、自分の生まれ育った土地で子供を育てたいという思いが次第に強くなっていきました。
私の実家は兼業農家といって、父が大工をする傍ら母と一緒に家族が日々食べられる程度の米や野菜を作っていました。父が亡くなった後、田植えや畑仕事をするのは専ら年老いた母の仕事になりました。 「土を耕して食物を作れば最低限生きてゆける、そう思えば人生何だってやれないことはない。」そういう考えが私の礎になっているように思えて、 息子には「何も持っていなくても一から土を耕してたくましく生きてゆけるように」と願って「耕太郎」と名付けました。
そして、母を独り残していること、食と家族の生活と自分の仕事が一つになるような環境で子供を育てることを考えたとき、 当初は何か見えない力に動かされているような感覚でしたが、今はその時の実家に戻ろうという決断が必然であったように思えてなりません。
郷里に帰って「手づくり靴と農業」を兼業にすることをブログに初めて記したのが2010年のことで、 それから5年後に実現させる計画で気持ちだけは少しずつ前に向かって動き出していた翌年に東北の大震災がおきました。 その時に二人目の子供がまだ妻のお腹の中にいて、震災後の動乱が未だ終息しない中で女の子が誕生しました。
大震災は食の安全、家族や地域の人達との絆など、社会の価値観を一変させてしまう程の衝撃を私たちに突きつけましたが、 当時、工房を移転してしまえば順風満帆であった靴の仕事が縮小するか、もしくは新たな土地で再開すらできなくなる不安があったにもかかわらず、 移転を決断した方向性は決して間違っていなかったと、不謹慎ながらもそれを確信させてくれた出来事でもありました。
ノグチ靴工房による茅ヶ崎でのクツ教室は、2014年・12月いっぱいを区切りに考えています。 その後、茅ヶ崎の工房は後進の手に委ね、新たな形態となって継続される予定です。 2015年からは、新天地の埼玉で手づくり靴と自然農業を軸として、食の安全や人と人との繋がりをテーマにさらに「手づくり」の輪を広げてゆこうと考えています。 また、新しい工房に移っても今まで通りクツ教室と靴の学校・ワークスは継続してゆくつもりです。 なお、移転先や茅ヶ崎工房(仮称)の詳細が決まりましたときは、逐一ご報告させて頂こうと思っています。
食・仕事・育児がより密接した新たな環境で「生きる」ということを実践してみたいという更なる挑戦です。みなさんに応援して頂ければうれしく思います。 突然の身勝手な話で大変申し訳なく思いますが、何卒ご理解を頂けますことをここにお願いいたします。
ノグチ靴工房主宰 野口マサジ